色褪せないトリビューン

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このアルバムが出たときの「ヤバさ」を、はっきりと覚えている。音楽というものがこれだけ時代と切り結んでいることに、80年代以降のやわなリスナーである私は息も詰まりそうなぐらい緊迫感を覚えてしまったのだ。他の誰もが感じたことなのかはわからないけれど。

ムーンライダーズの「Dire Morons TRIBUNE」。発売は2001年の12月で、言うまでもなくそれは、あのニューヨークのツインタワーがその身に二機の激突を受けて、ともに散ることになった年だ。「9.11を色濃く映し出しているアルバム」と評されることが多いし、実際そうなんだと思う。一般的なアルバム制作のスケジュールを考えたら、テロ事件以前に作られた曲の方が多いはずだけれど、まるで予言するかのごとく詞も音も、あの黒い雲の中で鳴り響いている。すぐれた表現者の表現は、ときどき時代の空気をニュースよりも鮮やかにそして切実に切り取ってしまうことがあるけれど、このアルバムは、ムーンライダーズというバンドがしでかした、何度目かのそれだ。

中でも直截にあの事件を思わせるのが、鈴木博文さんの「Flags」。これを聞いたとき私は、その控えめな曲調と裏腹に、その曲が立っている場所のあまりに孤高であることに怖さを感じたくらいだった。

たった3年で変わることがある。例えばアメリカという国とそれを取り巻く視線。マイケル・ムーア監督のブッシュ大統領批判映画に長い列ができる今では思い出すことも難しいけれど、2001年の空気の中ではアメリカではもちろん日本にいても、「平和的な解決」なんて、口にできる雰囲気じゃなかった。実際テロ事件3日後の、ブッシュ大統領に武力行使の権限を与える決議でも、反対票を投じたのは上院下院あわせてたったひとりだったのだから。簡単にいえば「やられたらやり返せ」みたいな乱暴な空気が、西側のどんな国にも満ちていたのだ。たった3年前、世の中の空気はこうだったんだ、ということにびっくりしながら、それを覚えとかなくちゃとも思う。私だって例外じゃなかったってことも。

だからこの年の12月に「Flags」を聞いたときほんとにヤバさを感じたのだ。博文さんの諦観は作品からいつも感じられることなのだけれど、2001年のあの空気の中で“ぼくのように全て無能無知ならば/ひるがえすべき旗などいらない”なんて歌うことは、その字面の平和さと正反対に、壮絶な覚悟がいることだと思ったから。今でこそ飲み屋の酔客でも「ブッシュしょうがねぇなあ」ぐらいは簡単に言えるし、LOVE&PEACEのプラカード持って練り歩くことも難しくはないけれど、あの時期それをできた人はそんなに多くなかった。

なんていったらきっと、鈴木博文さんはいつものブッキラボーさで「オレは全然そんなつもりない」と言うかもしれない(あくまで想像)。そう、時代と切り結ぶ気迫を持ちながら、同時に時代からどこまでものほほんと自由なのが、ムーンライダーズの孤高で惚れ惚れするところなのだ!音楽は現実をリアルに照らす「TRIBUNE」になり得るけれど、反戦のアジビラのようにパサパサした「道具」ではないということも知っている彼らの鳴らす音楽は、ゆたかでみずみずしくて、ものすごく無責任だ。思想信条を高らかに宣言するだけの歌は、それがどちらの立場に寄ったものでもビラと同じ速度で退色する。でも、博文さんのは“ひるがえすべき旗などいらない”だものなあ。ほーんと、組織や権力にやすやすと絡め取られるような闘い方はしない、一筋縄ではいかない人タチなんだ。そこを、私は、たまらなく愛してる。

「Dire Morons TRIBUNE」について書こうと思ったのに、「Flags」1曲で息切れ…。言葉が彼らに何周回ぶんも遅れて追いつかないのは、彼らの疾走の速さと鮮やかさを考えれば仕方ないよね。ただ、あの「9.11」から3年というタイミングで、私が書き留めておきたかったことを、個人的に呟いてみた。2001年のあのときのことを思いながら聞いても、2004年のこの場所でまったく無関係に聞いても、価値の変わらない音楽の不思議さと素晴らしさを、手のひらに転がして眺めながら。

*「Dire Morons TRIBUNE」ムーンライダーズ

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