恋の山手線3分の1周

シゴトで北千住に出かけた。新宿から山手線の外回り、今では用がなければ乗らないけれど、ハタチ前高田馬場に通ってた時期があるのでこの辺にはいろんな思いが落っこちてる。

新大久保を過ぎて左手にグローブ座、特別好きというわけでもないヒトと芝居見にきたなあとか。普通のやさしさとチケットを手配するマメさを持っている男性だったけれど、こういう人と結婚するのが幸せなのかもと当時思ったりもした。今の私はそれをやはりカンチガイだったと思うけれど、まあ結局のところたくさんあるカンチガイのどれと結婚するかというだけのことかもしれない。

大塚を過ぎて眼下を早稲田行きの都電が交差して過ぎるのが見える。都電荒川線のとある駅のそばに、好きだった人が独り暮ししてた。彼の理想の女性は「ピアノが弾けて料理の上手な人」と聞いたから、どちらにも該当しない私は彼への思いを胸に秘めておくことに決めて、その恋は始まることもなく終わった。共通の友人たちと彼の部屋に一度だけ遊びに行ったときにそのワンルームが思いのほか片付いているのを見ても接点を探すのは難しそうだったし、何よりその夜したたか酔ってしまって彼の家の洗面所に吐いてしまったのは致命的だったかもしれない。彼には愛のコクハクしなくて正解だった。

埼京線が(その頃埼京線ってあったかな?)埼玉県に吸い込まれるそのずっと先の実家から通ってるヒトと、長い時間一緒にいることが多かった時期もある。彼は私にはまったくなじみのない池袋という街をすいすいと歩くことができて、ふたりはパルコの本屋か楽器売り場か西武の屋上にいつもいた気がする。いくつもの本棚や何台ものクラビノーバの間をすり抜ける追いかけっこは明日もあさってもずっと続くように思えたけれど、後から見ればそれもやっぱり、「交際期間」というカンタンな四文字にすっぽり収納されるだけのものだったみたいだ。あの頃、西武の屋上から何が見えたんだろう。

線路の周囲に落っこちてるものは、拾って眺めたらまた落っことしとこう。自分にだけわかるガラクタが街のそこここに埋まってるのは悪くない。電車が日暮里駅のホームに滑り込んだら、さあ、乗り換えなくちゃね。

この記事へのコメント

夏之助
2004年09月22日 14:10
いやあ。感動でしたわ。
本屋と楽器屋の”おいかけっこ”の描写、やっぱり巧いなー。ため息。わたしもカメラになって目撃者になった。この記事だけで短編映画一本観た気分よ。屋上の恋人かー。カーっ。乗り換えでエンドロール。
>カンチガイのどれと
うちの配偶者はカンチガイの天才だね。よく耐えてるよ。ったく。
moonlightdrive
2004年09月22日 16:09
そそそんな。夏之助の心のカメラが素敵に脚色してくれているのだねきっと。
しかし…カンチガイは配偶者のほうか、あーたじゃなくて。まあ何の分野であれ天才は大切にしましょう。

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