「地球儀廻してた 指先で廻せた」

悲しく狂おしいギターがうるさいぐらいに暴れてる、そんな音が聴きたくなって、HERMITの『FREQUENCE EATER』(03)に手を伸ばした、それが発端。元チューインガム・ウィークエンドのギタリスト岩田こうじさんのソロアルバムね。ああ、岩田さんのギター、とことんクレイジーでイカレてて、そしてせつないな。どんな弾き方するとこんな音が出るんだろう。

画像で、それを聴いてたらやっぱりチューインガム・ウィークエンドへと気持ちは流れて、聴き始めたらまたハマッちゃった。ここ2、3日は、どっぷり。ハマり始めるととことん深くまでいっちゃうバンドだ、なぜか。今10代じゃなくてよかったかもしれないな、うっとうしいぐらいに敏感なあの時代にこんな音にハマッたら、たぶん、精神も生活も100%この中で回っちゃうだろう。そんな特権は、とうの昔に失くしてもう手の中にない。

でも、いまだに歌詞カードの一点から動けなくなっちゃう自分のメンタリティには、苦笑もしてしまう。たったいくつかの文字の向こうに、抱えきれないぐらいの何かを感じてしまう病は、一生治らないんだ。昨日はアルバムの表題曲「KILLING POP」の中のこのフレーズが、突然心に雪崩れこんできた。

キリングポップ 地球儀廻してた
キリングポップ 指先で廻せた


明るいメロディをまとったこの過去形のひと言の、あまりに圧倒的なせつなさに、息を飲んでしまう。なんてことない言葉に、作詞者がこめたはずのものを、幻想かもしれないけど確かに受け取れたと感じる瞬間って、私にとって貴い。時間も距離も超える通信なんだと思うから。

この詩と、このメロディと。そして、このギターと、このドラムと、このベースと、このボーカルと。バンドって名のつくものは無数に存在するけど、ここまでの要素が奇跡的な出合いをするケースって、やっぱりそんなには多くないはず。チューインガム・ウィークエンドは、その稀なケースの、確かにひとつだったんだと思う。その奇跡は、セールスや知名度とはまったく別の場所で起こるもので、ね。(もちろん同時にって場合もあって、それがいちばん幸福なのだとは思うけど。)

彼らのセカンドだったこの『KILLING POP』(98)は、どこを切っても鮮やかな血がほとばしるような、音と言葉の隅々にまでセンシティブな感性が満ちた傑作アルバム。緻密で同時に粗削りで、繊細なくせに確信犯的なこの魅力って、なかなか言葉で説明しにくいのだけれど。そして、何時間もくりかえしディスクを回しながら、これは彼らにとっての『ラバー・ソウル』だったんじゃないかなってふと思った。バンドが継続していたなら、彼らはきっと『サージェント・ペパーズ』も生み出していたんじゃないかな、とも。それは、選ばれなかった未来として、永遠の夢想のまま私の頭の中で鳴り続けるのだけど。…うん、それは、聴いてみたかった。

ただね。もしチューインガム・ウィークエンドが続いていたら、ジャック達ってバンドはこの世に生まれていなかったかもしれないと思うと、最高に複雑な気分になるよ、ふふ。「可能性」はたくさんあるけれど、「現在」はひとつだものね。私は、進行形のこのたったひとつの現在を、どこまでも愛してる。それってさ、どっかから無責任にやってくるものじゃなくて、生きてる私たちが選んでるものだから、絶対。

チューインガム・ウィークエンドはもうないバンドだけれど、私は「現在」の中で、彼らの音に参ってるんだってことも含めて、ね。98年のこのアルバムの中で、彼らはいつでも進行形で、どこかへ急いでるように見える。


*『KILLING POP』チューインガム・ウィークエンド


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