夏の終わりのヒトリゴトパルフェ

温度の高い日もあるとはいえ9月は9月なので、私の内規により、もうノースリーヴは着ない。すると途端に、袖を通せるものがよれよれの半袖Tシャツばかりになってしまうのが困りものだ…。ま、私の出かける先なんて近所のスーパーか銀行かドラッグストアかコンビニぐらいなので、別にトキめく出逢いが待ってるわけでなし、よれよれTシャツでいいんだけどね…。そうだ、せめて未使用のジャック達Tシャツをおろすか!…とか素敵なことを思いついてみるけれど、そのことでよれよれな事態に大きな進展があるわけでもない。

家庭(…とりわけ子どものいるそれ)を運営するというのは、なかなかにヘヴィーなことだなー。とか、実感してみたり。また、それをこなしつつ零細自営業を営むなんてことも。家のローン払って店の家賃払ってパートさんのお給料払ってモールの出店料払って材料費を各方面に払ってたくさんある借金を少しだけ返して(…ナマっぽい話だなしかし)、この時点ですでにほぼ残ってない中から生活するなんて、ムリすぎてある意味すごい!スーパーイリュージョンかという…。ま、それがいやだったらサラリーマン辞めんなよって話ですが。私もよくそう思う。

否応なしに襲ってくる親の老いの問題もヘヴィーさを増してくる、よね。これは、同年齢の友だちと話してても似たような人が多いな。今はオットの父がそこそこ深刻な状況で、オットは週に何回か、夜、実家に泊まりに行ったり。気働きのする義母をはじめ、まわりが倒れないといいんだけど…。

「生活といううすのろ」はいつも後ろから足を捕らえようとしてて、まったくくたばりそうになっちゃうけれど、その、生活の面倒さをケタ違いに増やしてるはずの「子ども」という存在が、同時に生活を回してく最強のエンジンにもなっていることに、幾度となく助けられてる。まだ2桁に満たない年齢の子どもって、ほんとに強靭でしなやかで、どんなことがあってもけっしてボキッと折れたりしないんだよね。私に理不尽なくらい叱り飛ばされて大泣きしたあとでも、10分後にはニコニコして「ねーママ」と近寄ってきては、すべすべのほっぺやぷりぷりのお尻を私の太ももにすりつけたりしてくる(これは7歳男児ね)んだよ。そのへこたれなさ、まぶしいばかり。強いなあ、子どもって。

そうだね、せっかく生来のオプティミズムもあることだし、歩くならやっぱり、前へ、と。少しずつでもね。


今年もいつのまにかあと3分の1だけど、音楽については、ここまであまり新譜を買っていないし、劇甚なブームも今年は来てないね…。でも個人的には、静かに深く、オルタナでエモでパワポでギタポな(ちなみに言葉の意味よくわかってないで使ってます)気分が進行中。春ごろからずっとね。90年代にリスナーの機能を停止してた私にとってはほぼ未知のジャンルで、出かけた体験の少ない洋楽界の中でも特に遠い場所。でも、今は、なぜか強くそういうことのようだ。相変わらず無節操に回る風向計、風はどこから吹いてくるのか?


今週末はザンネンだけど恵比寿リキッドは見送って、家族行事へゴー。おなじみ『趣味の煮炊き』の時間です。(ま、キャンプとも言う…。)川沿いのキャンプ場は夜はもう冷え込むだろうね。子どもたちの大好きな「ブレイコー」も同時開催。この日だけはどんなお菓子をどれだけ買ってもいいよ!と、ふだんの制限が決壊する「ブレイコー」にキャーキャー大騒ぎの7歳男児や9歳女児を見てると、人がやるべき仕事や課せられた役割っていろいろあるけど、この子どもたちの母親をやれるのは、(いちおう)私しかいないんだよなーなんてしみじみ思う。そんな役割を与えられてるのは、私には身に余るようなとうといこと、のはずだよね。ま、とうとさもすぐ忘れて子どもにはやっぱり毎日怒っちゃうんだけどさ。

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画像は文章と特に(というかぜんぜん)関係ありません…。

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